遊牧民としてのモンゴル文化を深掘り!8つの意外な特徴
「馬のないモンゴル人は、翼のない鳥のようなものだ」とは、まさにモンゴルの歴史や文化を説明しています。それほど彼らは馬と共に生き、歴史と日常生活をつくり上げてきました。 モンゴルは、アジアで独特な遊牧民としての文化と歴史を持ち、日本の観光客や文化探求者にとってとても魅力的な国。チンギス・ハンによって、馬と共に築かれたモンゴル帝国の影響は、現代の彼ら民族の生活や価値観に深く根付いています。 ここでは、モンゴルの文化的な特徴について見ていきましょう。そして、モンゴルの文化をより深く体験するために、モンゴル語の勉強を始めることをおすすめします! モンゴル語を勉強した司馬遼太郎 多くの日本の代表的な小説などを書き続けてきた司馬遼太郎さんは、実は大阪外国語学校(現在の大阪大学外国語学部の前身)でモンゴル語を学びました。大学の学位はモンゴル語ではなく、ロシア語で取得していますが、司馬さんはその作品の中で、度々モンゴル語を勉強したことに触れています。 『草原の記』では、司馬さんがモンゴルの広大な草原と遊牧文化に触れた感動が綴られていて、彼の旅行記であると同時に、モンゴルの文化やその土地で生きる人々の生活観についての洞察が豊かに描かれています。また、司馬さんは、チンギス・ハンや遊牧民の生活様式を通じて、モンゴルの独自の歴史的背景や人間観にも迫っていて、モンゴルという土地が持つ神秘性や壮大さを日本の読者に伝えています。 司馬さんのアジア文化への深い関心と、モンゴルへの特別な思い入れが感じられる作品で、日本人がモンゴルの文化や歴史に触れるきっかけを与えた作品でもあります。是非、読んでみてください。 遊牧民として土地を守りながら生きた歴史 モンゴルの地には、古代から様々な遊牧民の部族が暮らしていました。 遊牧民は家畜と共に移動する生活様式を持ち、ゲル(日本でいう「パオ」)と呼ばれる移動式の住居を利用していました。この生活スタイルは現在も多くのモンゴル人に受け継がれており、遊牧文化はモンゴルの文化的アイデンティティの一部となっています。 モンゴルの遊牧文化では、馬、ラクダ、ヤクなどの動物が生活の中心であり、馬術や家畜の育成技術が発展したのです。 遊牧民生活は持続可能な生き方 モンゴルの遊牧民生活と草原保護の関係は、司馬遼太郎さんもモンゴル人の持続可能な生き方として深い洞察を書いています。 モンゴルの遊牧民は、土地を耕作せず、定住地を構えないために、自然環境との調和を保ちながら生活を営んでいます。モンゴルの草原地帯での遊牧生活は、家畜を連れて定期的に移動することで成り立っているので、同じ土地に過剰な負担がかからず、土地が自然に再生する時間が確保されます。また、遊牧民は季節や草の生育に応じて牧草地を変え、自然の回復力を活かして草原を保っています。 一方、耕作地は土地を大きく変化させます。耕作は土壌を掘り返し、作物を育てるために肥料や水分を追加で必要としますが、これが草原地域で行われると土壌が失われ、草原の砂漠化が進むのです。 遊牧はこのような土地の損失を防ぎ、自然な生態系を維持するための方法でもあるのです。モンゴル民族の知恵ですね! チンギス・ハンとモンゴル帝国 さて、日本の歴史の教科書では必ず登場するチンギス・ハン(1162年–1227年)ですが、彼は12世紀後半にモンゴル部族を統一し、遊牧民の小さな部族をひとつの強大なモンゴル帝国へと成長させ、急速に中央アジア、東ヨーロッパ、中東、中国の広範囲にわたり拡大し、支配を確立しました。 チンギス・ハンの死後も、モンゴル帝国は数世代にわたり領土を拡大し、パクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)と呼ばれる安定した時代を築き上げ、この時期、東西の交易が活発化し、シルクロードを通じて様々な文化や技術が交流しましたが、なぜ、これほどこの民族は強かったのでしょう? なぜこれほどの強さがモンゴル民族にはあったのか! モンゴル人のその成功の原動力と強さ、急成長が可能だったのはなぜでしょうか? まず、チンギス・ハンが短期間で領土を広げた背景には、高度な戦術と組織力、部族の統一、そして徹底した軍事訓練があったとされていますが、何よりも彼らの強さは騎馬戦ではなかったでしょうか。モンゴル軍は優れた騎馬戦士であり、馬を使った機動力に長けていたのです。 そして、遊牧民として、彼ら民族の移動生活適応能力もあったのではないでしょうか。 貿易と文化の交流の拡大 モンゴル民族が歴史上最大の陸上帝国を築いた影響は大きく、チンギス・ハンおよびモンゴル人兵士が、征服地の女性と結婚・血縁関係を持つことで、まず遺伝的影響が広がり、一説によると、チンギス・ハンの直系の遺伝子が現在でも世界中に多くの子孫を残しているとされています。